3月14日、人形劇クラブが小児療育センター「浜松こども園」を訪問し、
オリジナルの人形劇3本を上演しました。 これは、手作り人形による劇を多くの子どもたちに楽しんでもらおうと、
隔年で取り組んできたもので、 この日は部員7人と短大生のOG1人が参加し、こども園に通う子どもたちや保護者の方々、
そして地域の子供会の子どもたち約40人のみなさんに日ごろの練習の成果を披露しました。
劇の脚本はすべてクラブ員のオリジナル。いろいろな苦労も、子どもたちの笑顔と拍手で吹き飛んだようです。
部長の大杉さんの話
「私にとって2回目、クラブでは3回目のこども園の訪問です。
私たちのストーリー,人形,そして劇全体が、 小さなお客さんに喜んでもらえるか、はじめはとても心配でした。
でも、次々とお客さんが集まり出し、 私の緊張も同時に高まっていったので、
上演するころは、その心配も気にならなくなりました。
上演中、いつもと同じく、手が痛くなったり足がしびれてきたり…。でもそんなとき、
お客さんの笑い声が聞こえると、うれしくて痛さも忘れます。 「雨の日の贈り物」では、声を「生」で出していたので、多少の失敗もありました。
でも楽しく演じることができて、本当によかったです。 「森の郵便局」や「シンデレラ」でも、小さなお客さんに楽しんでもらえて、
クラブ員全員が、終わった後満足な笑顔だったことも忘れられません。 短大の保育科に進学した卒業生も手伝いに来てくれましたし、
こども園の保母さんにも、手作りの人形のプレゼントをとても喜んでいただきました。
これからもずっと、楽しい人形劇をつづけ、 みなさんに楽しさをわけてあげられるようなクラブでありたいです。」
私たちの学園が「バングラディシュ委員会」を中心に参加している中日新聞主催の“バングラディシュに学校を”運動が、
「日バ友好学校」の2月の正式な開校をもって実を結ぶことになりました。
一昨年、バングラディシュ委員会の一員としてバングラディシュを訪問し、
現地の「日本バングラディシュ友好学校建設委員会」を見学した五年月組の田中宏枝さんは、
「学校という目に見える形になって、ようやく私たちが今までに行ってきた活動が実を結んだ事を実感しました。
私達を歓迎してくれた村の人達の喜ぶ顔が目に浮かびます。」と話してくれました。
この学校には、当初の生徒募集人数を大幅に上回る二百人に及ぶ応募があり、
すでに一部では授業が始まっています。生徒の中にはその設備や授業内容に魅かれ、
学校のある村から遠く離れたところから通う子供もいるそうです。
授業内容としては、現在の日本の教育とは大きく異なり、学校卒業後すぐ職業に結びつくような内容になっています。
男子は、車の部品などを加工する工業技術を、女子は、民芸品などを作るため、洋裁を学びます。
加えて、数学や理科、生活マナーの授業が実施される予定です。
学校を開校するに当たり、問題点もあります。電気も通っていないような田舎に建設されているため、
現在、生徒はいても、教師の派遣が困難な状態にあることです。また、生徒からの授業料が望めないので、資金がまだまだ必要です。
将来的には、バングラディシュ委員会が一昨年訪れたNGO(民間から起こった開発援助団体)の学校のように、
この学校でも既製服や文房具を生産し、その利益で学校を運営していこうという考えだというこですが、
それが軌道に乗るまでにはまだ時間がかかるそうです。 これからも、地道で息の長い活動で支援を続けていきたいものです。
12月8日、バングラディシュ人のニアズ・A・チョードリーさんが西遠に来校されました。チョードリーさんは、一昨年12月、
バングラディシュ委員会が現地訪問した際、大変親切にお世話して下さった方で、この日は、現地訪問に参加した五年の田中さん、
山本さんとお話をしていただきました。
−12月16日にバングラディシュチャリティーコンサートを行い、募金や文房具、楽器類を集めました。
「新聞でその記事を読みました。大変すばらしい企画だと思います。スケジュールの都合で、
その日に訪れることができなくてとても残念です。ぜひ来年もチャリティーコンサートを開いてほしいです。
来年は必ず来ます。」
−2月26日が、日バ友好学校の正式な開校式と聞きましたが、学校の様子はどうですか?
「人気が非常に高いです。設備もいいですし、日本の援助金で建ったというのも魅力のようです。
入学希望者も予想以上に多く、すでに一部では授業を始めている状態です。」
−日バ友好学校に通う子供の年齢はどのくらいですか?
「およそ6歳から16歳の子供が通います。読み書きから始め、 徐々に授業に工業訓練を取り入れる予定になっています。」
−今、最も必要なものは何ですか?
「やはり資金不足です。貧しい農村の人々に授業料を払えとは言えませんから。
今のところは日本の援助金に頼る形になってしまいます。でも将来的には、 日本の援助金に頼らないで経営できる学校に成長させたいと思っています。」
−たて笛や鍵盤ハーモニカなどは使っていただけていますか?
「残念ながら、あの楽器は教えられる教師がいないのです。生徒たちは、あなたたちがあれで演奏するのを一昨年見ていますから、
演奏したがっていると思います。また今度、バングラディシュに来た時に、 あの子たちに教えてあげて下さい。」
新生バングラディシュ委員会
日バ友好学校建設運動が始まったのは平成三年で、当時、浜松医科大の留学生だったチョードリーさんが、
浜松医科大学の故川島吉良学長らに、母国バングラディシュの悲惨な教育状況を訴え、
学長らが「日本バングラディシュ友好学校建設委員会」の提唱者となったのが始まりです。
そこへ中日新聞が加わり、「バングラディシュに学校を」運動として大々的な活動に乗り出しました。
平成八年、西遠は創立九十周年を迎え、その記念事業として、アジアの発展途上国の現状を知り、視野の広い人材を育てることを目的に、
「バングラディシュ委員会」を発足させました。その年には現地訪問という大きな活動も行いました。
今年、委員会も三年目に入り、一つの転機が訪れようとしています。これまでの主だった活動は、
すべてバングラディシュ訪問に参加した生徒によるものでしたが、これからは、
バングラディシュの悲惨な現状を目のあたりにしたことのない生徒が運営していかなくてはならないのです。
バングラディシュ委員会の五年生は、「やはり一度、バングラディシュに行って、あの光景を見てほしいと思います。
」と語っています。
しかし、先日、バングラディシュ委員を驚かせた出来事がありました。五年の田中さんと山本さんが中学生を対象に、
現地訪問の思い出をスライドを交えて講演し、バングラディシュ委員会への参加を呼びかけたところ、
百人にも及ぶ生徒が応募につめかけたのです。その生徒の大半は「バングラディシュに行ってみたいので…」という理由からでしたが、
「それだけ多くの生徒にこの活動を理解してもらえたんだ」と確信することができたそうです。
大切なのは、現地訪問のような大きな活動の後に、その活動を引き継ぎ、続けていく「力」です。
だから「新メンバーに、この活動をしっかりと続けていってほしい」という期待がかけられています。
新メンバーのひとり、四年の太箸みち子さんは、「今は、何をしていいのかまだ分からない状態です。来年は、文房具集めや募金など、
今年度の活動を引き続き行っていきたいと思います。一度、バングラディシュに行ってみたいです。」と語ってくれました。
広がるバング・ボランティアの輪
浜松市の中学、高校にもバングラディシュボランティアの輪が広がりつつあります。
これまでに現地訪問を行ったのは私たちの学園だけですが、浜松北高では文化祭でチャリティーバザーが開かれ、
最近では中部中学校や常葉橘・菊川両高校が活動を始めたそうです。また、愛知県でも活動の広がりが見られるそうです。
スタートしたばかりの「日バ友好学校」は今、資金不足が最大の悩み。これからも、
このバング・ボランティアの輪が大きく広がっていくことを願いたいものです。
バングラディシュの小物はどうでしょう?
来年度のバング委員会の活動として、バングラディシュの民芸品の学校販売が計画されています。この発案者はチョードリーさん。
西遠での売り上げ金を、そのまま「日バ友好学校」に寄付するという形をとります。売り出しが予定されているのは、ノート、
ペンケース、きんちゃく、キーホルダー、ポシェットなどで、後日展示される予定です。すべて手作りで、
丁寧な刺しゅうが施された素敵な物です。
チョードリーさんメモ
チョードリーさんは、医師をしながら、バグラディシュの大がかりなボランティア団体“SARA”に所属しています。
“SARA”は、物をただ支給するだけではなく、現地へ赴き、ボランティア活動をし、
さらに日本をはじめ多くの国からの援助金を管理する役割も担っています。